みなさまこんにちは、バックアップを整理してたら出てきました。
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懐かしい
当時のことを思い出してしみじみしました。
洞窟の比喩
古代ギリシアの哲学者プラトンが考えた比喩。
洞窟に住む縛られた人々が見ているのは「実体」の「影」であるが、それを実体だと思い込んでいる[1]。「実体」を運んで行く人々の声が洞窟の奥に反響して、この思い込みは確信に変わる。同じように、われわれが現実に見ているものは、イデアの「影」に過ぎないとプラトンは考える。
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/洞窟の比喩
ウィキペディア から引用しました。
ざっくり言うと、僕たちが見ている世界は偽りの世界かもしれない。
もしも当たり前がデタラメだったら
▼僕の拙い文章力ではお伝えするのが難しいのでコチラの動画がわかりやすいです
生まれた時から手足を鎖につながれ洞窟の壁の方だけを見させられている人間達がいます。
そしてその人間達の背後には道があり、洞窟を通過する人々の影が洞窟の壁面へと投影されます。
人間、馬、手押し車、様々な形の違う影が壁面に投影されます。
そして手足を繋がれている人間達は壁面に投影された影こそが実態の現実だと信じています。
しかしそれは実態ではなく影なのです。
もっと言うと手足の繋がれた人間達にとっては今いる薄暗い洞窟こそが当たり前の世界。たまに壁面に現れる投影された影こそが実態。手足を鎖で繋がれていることが通常。そしてこれらは全てこの人達にとって常識なのです。
馬を水飲み場に連れて行く事はできるが
馬に水を飲ませることはできない。
誰も教えてくれない。
僕たちがが今思い込んでいる一般常識とやらは果たして実態のあるものか影なのか…
そして今現在、僕たちが信じている世界は本当に洞窟の外と自信を持って言えるか。
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